どこまでも続く平原はあまりにも広すぎて、酷く現実感が乏しい。適当な目印のない平原は海に似ている。広すぎて、時として意識を迷わせる。
 単調な道程にまどろみを覚えるのは寧ろ必然的か。
 夢見る男の夢想は平原に幻燈する。
 広大な、広大な、平原。
 この平原を全て畑にすることが出来たら、どんなにすばらしい黄金野になるだろうか。考えるだけでも、それは素晴らしく甘美な夢だった。

 男は農民だった。
 ごく普通の農民。どこにでも居る、普通の農民。
 彼の父親も、彼の祖父も、彼の曽祖父も、その前も、その前も、普通の農民だった。
 彼と、彼に連なる一族は畑を耕すものだった。
 それは遡れば有史以前まで遡ることが出来る。まさに彼の一族は畑を耕すことに人生の全てを懸けてきた偉大な一族だった。
 大破壊と呼ばれる未曾有のカスタトロフで世界が壊滅的ダメージを被っても、彼の先祖は畑を耕すことを止めなかった。
 彼の畑で取れた作物は人々の飢えを癒し、働く活力を与え、人類の文明をいくらか回復させる原動力になった。

 それは誇らしいことだった。
 それは素晴らしいことだった。
 それは賞賛されるべきことだった。
 
 だが、誰もその功績に気がつかなかった。
 
 彼の家はずっと貧乏で、彼の父親は安い酒と引き換えに土地を手放した。彼は借地を耕し、作物を収め、彼自身は飢えたまま、人手に渡っていく麦をただただ見送るばかりだった。
 偉大なる畑を耕す者の系譜の末裔に"盗賊"という新しい生業が加わったのは別に何も不思議なことではなかった。
 
 もう何代目か分からないほど歴史を積み上げた、畑を耕す者の後継者は畑を耕すこと以外にも才能があった。
 彼は自分と同じ境遇の農民達を仲間に引き込むことに成功したのである。
 さらに彼は配下に加えた農民達を巧みに指揮して、交易品を運ぶキャラバンを襲い、荷を奪った。彼には戦争の才能もあった。
 後は不満が出ないように適当に分け前を分配し、余った金で武装を強化して、さらに襲撃の成功率を上げていく。
 彼の指揮する盗賊団は1年もしないうちに襲撃成功率100%を誇る巨大な盗賊団に成長した。
 畑を耕すものの末裔は素晴らしい才能の持ち主だった。
 彼は優秀な部下にも恵まれ、家はこの時代では信じられないほどの豪邸で、そこには美しい妻と愛らしい子供達が待っている。体も健康そのものだ。
 幸せな、幸せな人生。
 彼は成功者だった。
 だが、戦塵に煤け、荒野の野を征く彼が思うことは畑のことだった。
 驚くべきことに、彼は豪邸に帰ると家族との会話もそこそこに豪邸の庭、畑に繰り出して水撒きに精を出すのである。
 殺した人間の数が2桁を超えているにもかかわらず、彼は未だに自分はただの平凡な農民であると考えていた。
 平凡な農民としては、最近キャラバンが襲撃を避けるためかコースを遠回りにした所為で、帰りが遅れ作物の世話が出来ないことがとても腹立たしい。
 今日も畑に帰ることが出来ず、沈む夕日に夕方の水遣りの時間を思い、やきもきする羽目になっている。
 彼の妻はとても美しいが・・・畑仕事は一度もやったことの無いダメな妻だったし、息子達は母親の所為か、10歳を過ぎているのに畑仕事を手伝おうとしない。
 
「全く、誰のおかげで飯を食えていると思ってるんだ」

 それに彼は部下達にも不満を抱いていた。
 最近、彼の部下達は狩場を広く採ることを強く彼に要求していた。
 それは彼にとってはとんでもない話だった。
 平凡な農民に過ぎない彼にとって、畑を留守にして盗賊業に精を出すなど考えられないことだったし、
 それどころか、畑を耕すことを止めて盗賊業の稼ぎで遊び惚ける部下達に怒りを抱いていた。
 あぁ、どうして自分はこんなにも虐げられなければいけないのか。
 毎日の遠出で畑を耕す時間を奪われ、部下達のとんでもない要求に悩まされ、広大な沃野を前にして鍬を振ることも出来ず、溜め息を漏らす毎日。
 一体どうしてこんなおかしなことになってしまったのだろうか。俺はただ不当に搾取さえた作物を取り返したかっただけなのに、奪われた物をただ取り返そうとしただけなのに。
 それは人間として正しいことの筈だ。なぜ俺だけがこんなに苦しみを味わわなければならないのか。俺は虐げられている、俺はただの被害者なのに。
 ぶつぶつと、彼は不平を漏らす。
 一人ぼっちの彼の不平を聞いてくれるのは、安物のComputerユニットだけだった。性能の低い、安物のCユニットに彼の複雑で異常極まりない不満が分かるはずもない。
 
 ・・・・不幸になるのはとても簡単である。自分の人生についてあれこれくよくよ悩む暇があればいい。
 それはまさしく彼だった。ぶつぶつと人生のあれこれにくよくよ悩み、不平不満を漏らす。彼は不幸になる資格があった。
 これに不運が重なれば、彼は立派な"不幸な人"になれるだろう。
 果たせるかな、盗賊団の頭領のである彼の乗る戦車M4シャーマンの捜索用センサーが故障していた
 これまで彼に与えられていた幸運の恩寵は一気に取り上げられた。
 これより、彼は彼自身が望んで止まなかった"被害者"になることになる。

 その一撃は音よりも速かったので、その一撃が盗賊団の戦車を粉砕し、空高く放り上げた後になって、ようやく鋼鉄の咆哮が狩場に響き渡った。
 音速を超える、凶速の一撃は一切合切の全てを決する。
 盗賊団の戦車、M4シャーマンの前面装甲をボール紙のように引き千切り、噛み砕き、粉砕する。爆裂するTNT爆薬の火炎はシャーマンを荼毘に付す。
 鋼鉄の暴威は空気を伝播し、戦場に恐怖を撒き散らす。その絶対的意思強要に歯向かう事は夢想の域を出ない。
 完璧な奇襲を受けた形になった盗賊団は大混乱に陥った。
 千路に乱れた盗賊団の戦車を砕鉄の一撃が捕らえ、次々に狩っていく。
 その様は戦闘ではなく、殺戮のそれだ。
 何の変哲も無い雑木林から間欠泉のように吹き上がるマズル・ファイアが焔く度にM4が火を噴いて弾けとぶ。
 
「Fire!」

 ターゲットスコープなかで5両目のM4が火を吹いて崩れ落ちる。
 用を終えた88ミリAPBC弾の薬莢が排出され、自動装填装置が無機質な作動音を響かせて新しくドラムマガジンに収められた凶撃を装填する。
 アンプッシュしてM4を次々に血祭りに上げるヤークトパンターはさながら地に伏せた豹のようにしなやかで、それでいてその凶暴性は常態のそれを遥かに上回る。
 たわめられた筋肉から放たれる一撃はM4の装甲版を薄紙のように切り裂いていく。
 71口径88ミリ砲の牙はM4シャーマンを2000メートルの遠方からでも撃破することが出来た。それを盗賊団のM4は僅か500メートルの距離でうけたのだから、防ぎ様が無い。
 最早戦場音楽を指揮するのは6メートルに達する長大なタクトを持つヤークトパンターただ一人だった。
 その長大なタクトの一振りが戦場にいるあらゆる者の生死を分かち、まさに戦闘交響曲は地に伏せた豹の思うが侭になるかに見えた。
 だが、譜面の無い戦闘交響曲を完璧に御するにはヤークトパンターはあまりにも寡勢であった。たった一人で指揮が出来るほど戦闘交響曲の重厚なメロディは甘く無い。
 仲間の流血を浴びせられた盗賊達はようやく戦闘の狂熱を冷ますことが出来た。
 統制の回復までに6両の戦車を失ったが、それでも彼らは統制を回復した。
 それは奇跡と言う他ない。軍隊でもない、ただの盗賊団がこの状況で統制を回復しえたのは単に頭領の才覚によるものと言うしかない。
 初撃で頭領の乗る戦車を撃破出来なかったのは明らかに失敗だった。
 戦場を支配する圧倒的な鋼鉄の凶威は全ての者に二者択一を強要する。
 服従か、崩壊か。
 盗賊団は服従も崩壊も選ばなかった。凶意には凶意を以って、より大きな凶意を以って押しつぶす。
 盗賊団は装備する戦車全てをM4シャーマンで固めている故に、シャーマン盗賊団と呼ばれるこの盗賊団は、多勢を以ってそれをする力、14両のM4シャーマンが在った。
 統制を回復し、落ち着いて回避運動を行うようになると急に砲撃は当たらなくなった。
 凶威の塊は大地に牙を突立てるが、大陸を引き千切る力があるわけもない。虚しく沃土を掘り返すのみだ。
 連続する凶威を凌ぐと、彼らは巧妙に雑木林に隠れ、紅く炎を吹き上げる砲口を発見した。

「ヘタクソめ、発砲炎を目印に砲撃しろ。押しつぶせ!」

 怒り狂った頭領の怒号など聞くまでもなかった。
 紅い、連続する砲撃で位置を暴露した狙撃手に14両のM4シャーマンが一斉咆哮した。 降り注ぐ14発の75ミリ砲弾の連打が炎の宴を完成させる。
 反撃もそこそこに、一目散に狙撃手は後退に入った。
 砲身がやや短く、威力に欠けるM4の主砲でも14両の猛獣の咆哮は圧倒的だった。連続する砲撃に狙撃手は押しつぶされ、のたうつように後退するより他ない。
 たちまち戦場の支配権を取り戻した盗賊団は、最初の狂熱から冷めたにもかかわらず、執拗に逃げる狙撃手を追い掛け回した。
 彼らは、ほんの一瞬でも圧倒的なはずの自分達を恐怖させ、凶意の頚木に置いた存在が許せなかった。傷つけられた誇りを癒すには復讐が必要だった。
 連続する凶意の塊にかき混ぜられた熱気と爆炎の中でのたうち回る狙撃手の様は十分に惨めで、慈悲を請うようでもあった。
 人間に牙を剥き、そして銃を持った人間に追い立てられ、追い詰められた獣。
 今や復讐は成り、圧倒的な自分達に盗賊団は酔った。
 だが、知っているだろうか。野生の肉食獣はどんなに傷つき、追い詰められても、最後まで決して生きることを捨てない、本能に根ざした強靭な意志をもっていることを。
 魔女の大釜に投げ込まれた凶獣はある瞬間を、逆転の瞬間をじっと待ち続けていた。
 戦場において、勝者と敗者を分かつ戦場の機微、運命の糸。勝者と敗者を等しく絡めとる糸を確かに感じる、その一瞬。
 糸を手繰り寄せたのは"彼女達"だった。
 追撃によって盗賊団の戦列は何時の間にか縦に伸びきっていた。
 戦列が伸びきり、それに盗賊団が気付く、ほんの一瞬の刹那。その刹那こそ、運命の糸が確かに在った時、その刹那で盗賊団の勝利は永遠に失われた。
 刹那の一瞬。
 音を超える凶速の一撃が盗賊団を横撃した。
 灼熱するAPBC弾の一撃はM4の薄い側面装甲を撃ち抜き、体内に侵入。秒速800キロを超える速度でM4の体内を喰い散らかし、
 最後の瞬間内なる衝動、内蔵された遅発信管の命ずるままにTNT爆薬に火をつけ、衝撃波という産声と共に爆炎の翼で外の世界へ飛び立った。
 再び凶獣の咆哮が戦場に響き渡った。
 雑木林の中から、巧妙に偽装された一両の戦車が踊り出る。
 踏破能力に優れた幅広の履帯が大地を踏みしめ、戦闘出力まで引き上げられたアイリス・800馬力ディーゼルエンジンが咆哮し、黒煙を吹き上げる。
 被弾経始を重視した傾斜装甲板は何者の意思強要を跳ね除ける強い意志が見て取れた。
 Panzerkampfwagen V Panther
 古の大戦争、第二次世界大戦におけるドイツ軍最高の中戦車、パンターが其処に在る。
 ゆっくりと、女豹は全く慌てること無く、それこそ看護婦が患者に注射をするときに匹敵する懇切丁寧さで、照準を合わせた。
 70口径75ミリ砲が火を噴く。
 今度こそ、完膚なきまでにツキに見放された盗賊団はその一吼えで崩壊した。
 彼等は狩ることしか知らない狩人だった。今彼等は初めて狩られるということを学んだ。
 そして彼等は最早絶望的にどうにもならない所でようやく自分達が狩人として完璧に失格であることを悟った。
 対等な命のやり取り、誰もが等しく死を引き受ける対等な契約に基づく戦闘世界。フェアプレーの極地に、狩ることしか知らない彼等が存在する余地があるはずが無い。
 最初の一撃から僅か3分で3両のM4が血祭りに上げられた。
 凶獣の咆哮は獲物の絶命と流血を見て歓喜の色を増す。
 その歓喜に満ちた咆哮は聞く者全てを等しく絶望させ、抵抗の意思を完膚なきまでに破砕する。
 恐慌に陥った盗賊団は統制の欠片も無く、それぞれ勝手に咆哮に向かって砲塔を旋回させ、そして次々に撃破された。
 彼等の前にはもう一匹の凶獣がいた。彼等は忘れていた。否、忘れようとしていた。2匹の鋼鉄の豹と同時に戦うなど、
 全く無謀で考え付きもしないことだから、彼等は無意識のうちに前門の豹を完璧に忘却していた。
 装甲を傷つけられ、泥で全身を汚された事に怒り狂う鋼鉄の豹は怒りの咆哮を連続させた。
 その全てが、砲塔を旋回させて薄い砲塔側面を曝すM4に吸い込まれるようにして消えていく。砲弾は消えた、内包するTNT爆薬によって、
 M4の体内で木っ端微塵に吹き飛び、中にいる人間を道ずれにして次元の彼方に旅立った。
 魔女の大釜から飛び出したヤークトパンターのアハト・アハトが火を吹くたびに、その何倍もの炎がM4シャーマンから吹き上がる。
 最早戦闘の時間は終わり、残敵掃討に程近い。
 生き残ったM4は必死の逃走を試みる。
 だが、その努力をせせら笑うように2匹の女豹は確実に弱った獲物を狩っていく。
 パニック状態で逃走に入った盗賊団は哀れみすら覚えるほど無残だった。
 何を思ったのか、旋回して戦車の中で最も薄い背面装甲を曝して逃げていくM4がいる。最も、これだけの近距離では背面だろうと、
 前面だろうと、女豹達の牙は楽々にそれを噛み千切ることが出来たので意味は無いだろうが。
 戦車を捨てて徒歩で逃げようとする盗賊には車載機銃が容赦なく鉄弾をばら撒き、引き千切った。
 生き残った最後のM4に白旗が掲げられたのはそれから僅か3分後のことだった。


 パンテルの姉妹
 プロローグ

 黄昏に燃える戦車の炎が紅く映える。
 ガソリンが尽きるまで、炎は空を焼くだろう。
 共に戦った戦友の魂を慰めるために。
 幸運にも生き残った者は、そのガソリン臭い炎に涙し、友の死を悼む。
 いくら憎むべき盗賊団でも、それすら禁止するほど美坂香里は非情ではなかった。

「お姉ちゃん、ハンター協会の人が来たよ」

「分かったわ、すぐ行くから」

 寄り添うように停車した2両の戦車。パンター、ヤークトパンター。
 パンターの砲塔ハッチから身を乗り出しているのはどこか幼い雰囲気がある少女だった。
 燃える戦車の亡骸が天を焼き、泣き崩れる男達の嗚咽が響く殺伐とした戦場跡でも、少女はどこかのほほんとした暢気な顔をしている。
 そのいつもと変わりない顔を見ていると胸の中心が温かくなってくる。
 例えどれほど戦塵に煤けてしまっても、この顔を見ることが出来るのならば、あたしはきっと心癒されるだろう。

「どうしたの?お姉ちゃん」

 不思議そうに見つめ返してくる妹の栞が妙に照れくさくて、あたしはわざと無愛想に答えた。

「なんでもないわ、栞」

「・・・・変なお姉ちゃん」

 小首を傾げて言う栞はとても可愛らしい。
 今すぐにでも、そこで泣き崩れている盗賊どもにこの可愛らしい栞を見せ付けて自慢して回りたい気分だ。
 我ながら妹馬鹿だと思う。でもしょうがない、可愛いものは可愛いのだ。
 今にもニヤニヤと顔面崩壊してしまいそうなので、あたしは慌てて戦車の中に戻った。
 あたしはニヤニヤと笑いながら通信機で捕縛した盗賊達を連行しに来たハンター協会の護送車と連絡をとった。顔が見えない通信機での会話は全くありがたい。
 これで後は盗賊達を引き渡せば、仕事も終わり。ひさしぶりの休暇を楽しめるだろう。
 そういえば、本当に久しぶりの休暇だ。栞と買い物にでも行こうかな?
 あたしは夕焼けの空に瞬き始めた星達を砲塔ハッチの狭い輪の中から眺めながら、そんなことを夢想してみたりした。

 大破壊より数世紀、黄昏の時代。
 散々遊び倒して、身持ちを崩して、最後には自分で自分を殺す羽目になっても、それでもまだ死に切れなかった人類のロスタイム。
 あたしと栞が生きているのはそんな時代だった。
 あたしと栞はハンターだった。先祖も代々ハンター稼業。ご先祖様も因果な商売に手を出してくれたと思う。あたしも栞も子供のころから戦車、
 戦車の毎日だった。いいかげんに足を洗いたいものだけど、あいにく戦車以外にとりえが無い。今日も今日はで、西へ、東へモンスターを狩りに行く毎日。

 あぁ、まったく因果な商売ね。